鹿児島医療生協の
あゆみprogress

鹿児島医療生協の誕生

医療生協とは『ひとりがみんなのために、みんながひとりのために』の精神をもとに 皆で知恵と力とお金(出資金)を出し合い それを基金として病院(診療所)などをつくり、これをみんなの平等な発言によって運営するものです。

『設立趣意書』より

1974年2月1日 鹿児島医療生協は誕生しました。
組合員数650人、職員数23名とその産声は小さいものでしたが、”全ての人々により良い平等な医療を提供したい“という大きい信念のもと第一歩を踏み出しました。
そしてそのはじまりは1974年7月、三和真砂地域で12年間診療を続けていた南地区診療所の活動を引き継ぎ『みなみ診療所』(ベッド数9床)へ改称、移転することでした。

鹿児島医療生協の前身南地区診療所(1961年)
1973年11月 創立総会の様子
みなみ診療所開院(1974年)
みなみ診療所開院(1974年)

誕生して間もない鹿児島医療生協でしたが、みなみ診療所での活動の発展に尽力すると同時にセンター病院建設に向かってひた走ります。
650人でスタートした組合員は病院建設をすすめる活動の中で1975年には3,000人を超え、病院建設に対する要望と資金を集めるための重要な基盤となりました。
その結果、1975年10月には田んぼや桑畑が一面に広がる谷山の地で27床の市民病院(現鹿児島生協病院)が開院しました。
初日の外来数は15人、入院数は2名でした。

市民病院開院(1975年)
市民病院開院に向けた谷山地区での健診活動

市民病院は1976年に27床から56床へ、1979年には56床から121床へ増床し、名実ともにセンター病院として急成長します。研修ができて離島の診療所に医師を派遣できる、患者の立場にたった医療を提供し地域に貢献できる、そんなセンター病院をつくりたいという若い医師や看護師、地域の人々の情熱に支えられた時代でした。
さらに、1979年市民病院は救急病院の指定を取得、24時間年中無休の医療体制を構築し鹿児島市南部の中核病院として成長を遂げていきます。

救急病院指定、24時間年中無休の医療体制(1979年)
市民病院屋上にて(1981年)

事業所のひろがり

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